REFLECTION&REPETITION
天王洲アイルにあるギャラリー、Tokyo International Galleryにて気鋭作家・鬼頭健吾、大澤巴瑠、三浦光雅の3名によるグループ展、 「Reflection & Repetition」が開催されています。
人間的な技芸(アルス)、技術(テクネー)の徹底によって現れる「自然」がある。
その一方、「自然」の徹底によって現れる「自然」のテクネーやアルスもまた存在する。
三浦光雅と大澤巴瑠が展開するのは、芸術制作を拘束するルール、システムをつくり、そこで人為かつ意識的に技術や方法をコントロールしたうえで、その破綻を見せるというありかたです。
それゆえにそこでは、人為、技術そのものが前景化されるますが、その「破れ」とともに、「自然」が現れます。
三浦光雅は、置かれる線の配置や配色を乱数によって決定し、その指示書をもとに作品を制作します。
その結果、作家の恣意的な決定は排除され、作品制作は、厳密なコントロール下に置かれることになりますが、そこでは同時に、それを実行、出力する作家の身体性や無意識、偶然性が干渉します。
手描きのドローイングをデジタル技術で複製し、さらにその図像を手描きでトレースすることで絵画を制作する大澤巴瑠の作品においても、あるものをそのままトレースする行為のなかで、モデルとなる画像と身体とのズレやブレが露呈します。
そこに見られるのは、人間的な技術と人間の生身の身体という「自然」との摩擦であり、交錯です。
一方で、鬼頭健吾の作品に現れるのは、それとは逆の事象です。
その絵画は、あらゆる意識的な制御、コントロール、画材の制約から解放され、絵の具がほとばしり、偶然性を野放図なまでに、最大限に活用したものに見えます。
鬼頭健吾の作品は、荒々しい「自然」そのものに接近しますが、その結果、画面内を再帰的にループするモワレやフラクタルに近似した幾何学的な構造=自然のテクネーが現れるのです。
「自然」はいつでも人間的な技術(アルス、テクネー)の「破れ」のただなかから立ち現れますが、そこにおいてこそ、「自然」の幾何学、「自然」の整序が発現するのです。