VOL.9 ROWLAND KIRISHIMA
過去にインタビューしたコレクターを再編集してお届けしているCOLLECTOR VOL.9でお送りするのはニューヨーク時代からのお付き合いでフォトグラファーや映像作家であり近年は某IT系企業の取締役などもしているという桐島ローランド氏です。
田辺:
今日はどうも、よろしくお願いします!
桐島:
よろしくお願いします!
田辺:
あの、このコーナーはお友達と会って、その方の持ってるアートを見ながら色々とお話しをしましょうという企画なんです。
桐島:
はい。
田辺:
まず、このトピックが多いんですけど、僕もローリーもニューヨークにいて、日本に帰ってきてしばらく経って、まあ、アートには興味があると思うんですけど。
まず、海外と日本のアートに対する発信する側の違い?
まあ、海外だとギャラリーが沢山あってミュージアムも身近にあってみたいな。。
桐島:
うん、そうだね~
田辺:
そういう違いとかってどう思います?
桐島:
まず、敷居が低いよね!
確実にいえることは。
田辺:
海外の方がね?
桐島:
海外はとにかく敷居が低くて、ギャラリーなんかも基本的にはただで入れるし、あと一般の人が別にそんなにアートに詳しくなかったとしてもそういうところに入って、買う時もあるからね。
田辺:
そうですよね。
桐島:
そう!全く知らない作家でも自分が良いと思ったら買ってくれる。
そういうパトロン的な存在がマスにいるって感じ。
日本だと特殊な人しかアートって買わないと思うし。
田辺:
そうだね。
桐島:
見に行くのも本当に好きで見に行ってる人だらけで。
海外はもっとカジュアルにアートに触れてるんじゃないかなって。
また本物が町中にあるっていったら変だけど、パリとか、オランダとか、そういうところに行けばもうアートが街中にありますよね。
イタリアのフィレンッエなんか特にそうだけど。
だからやっぱりそういう環境で当たり前に育ってる人達が羨ましいな~って思う。
日本だとやっぱり隠されてるから全てが。
田辺:
なるほどね。
桐島:
隠されてるしやっぱり、例えば有名な画家の個展が日本で行われると長蛇の列で、一つの作品も見れて5秒?みたいな?
向こうって平日の午前に美術館行ったら独り占め出来ますからね。
田辺:
そうだね~
桐島:
まあ、最近はそうでもないみたいだけど、俺たちが学生の時なんてメトロポリタン行ったらガラガラだったじゃん?
田辺:
うんうん。スケッチしてる人がいたりね。
桐島:
そうそう!まあ、さすがに今はメトロポリタンも人だらけみたいだけど。。
田辺:
よく海外だと子供が、ほら課外授業で!
いわゆる鑑賞教育っていうの?
そういう育つところからアートが身近ってのもあると思うけど。。
桐島:
そうだね、やっぱり枠にはめないところとか、皆が自分の目を信じる力を持ってるから。
まあ、そういう教育してるじゃないですか。
田辺:
そうだね~
桐島:
だから子供もそうだけど、自分が好き嫌いっていうのは自分で決めるから。
やはり日本って一つの枠に固めようとするじゃないですか?
何が良くて何が悪いのかっていうのをすぐにほら、数値的にとか論理的に決めつけたがるところがあるけど、アートなんて実際そんなのないから。
田辺:
そうだよね。学校なんかでも絵に点数付けたりとか、まあ日本人があんだけ英語勉強してても英語喋れないのと同じで美術っていうのも一つの点数の対象になってて楽しみを教えないっていうかね。
桐島:
そう、だからデッサンもリアルに描くんじゃなくてその人のスタイルを貫かせるっていうのが本来の教育の仕方だと思うし。
まあ写真も同じですよ、日本の教育法は。
最近やっと良いところも出てきてるけどやはり10年以上遅れてますよね。
田辺:
技術にばかりこだわるとか?
桐島:
いや、それはまだありますよ、だからアートでもテクニカルなものを好む?
日本人はそもそも職人が好きだから。
それはそれで僕は悪いことじゃないと思うんですよ。
テクニカルも必要というかピカソだってテクニックはある訳だから。
田辺:
うんうん。
桐島:
抽象的なものを描くようになったけど、結果としては。
基礎がちゃんとできてるから、それと落書きとは全く違う訳だから。
田辺:
そうだね。
桐島:
それは絶対にあるし、ただ、日本はその基礎っていうものにこだわり過ぎてるところがどこかあるんじゃないかって。
田辺:
なんか、こう日本人って不安になっちゃうっていうか、なんか、自由にやっていいって言われるとなにも出来なくなっちゃうみたいな?
桐島:
はいはい、縛られるのが好きなんですよ。
田辺:
アートなんて一番自由であるべきものなのに。
人がいいっていったものを買うとか、皆が駄目っていったものは自分が気に入っててもそう言えないとか。
そういう気質みたいなのもあるのかもしれないですね。
桐島:
まあ、アートって凄いパーソナルなものだから好みだって違って当たり前だし。
この作品、こんなのゴミだって思うものが他の人の宝であって。
良いんですよそういうものだと思うから。
そしてたまたまそういう意味でゴミだったのも後になってアートになって行く時もあるし。
でも、まあ、今のアートの在り方っていうのもどっか問題はあるなと俺は思う。
別にそれはもう日本だけじゃなくて世界的にアートっていうものがとってもコマーシャルになっちやって。
田辺:
そうだね。
桐島:
なんか、ある意味自由になり過ぎちゃったところがあって。
なんかなんでもありになってるよね、一般の人もそうだし。
ただ疑心暗鬼になっても仕方ないけど。
でもアートってとにかくこれなんか気になるっていうことで良いと思うから。
そういうものじゃないですか?
それで別に癒される必要もないと思うし。
人それぞれだから、体験っていうのは。
田辺:
じゃあ、そういう色々な理由があって日本と海外の差ってある?
桐島:
うん、絶対にありますよ!
まあ、日本はもともとそういうものを否定したがるっていうか、なんか数値化出来ないものを見下すことがあるからアーティストに対するリスペクトが基本的にないな~っていう。
そういうクリエーティビティーに対する尊敬がなくて、お医者さんですとか、弁護士ですとかっていうと尊敬されるけど、自分が写真家だっていうと水商売じゃんっていう。
そこの差はずいぶんある。
田辺:
そうだね、画家っていうと貧乏だみたいなね。
桐島:
そうそうそう!
田辺:
そういうイメージだったり、偏見があるよね。
桐島:
そうそう。
だからそういう意味では中国の方が全然上ですよ。
田辺:
そうだよね。
桐島:
中国はアーティストに対するリスペクトは非常にあるから。
田辺:
そうだね。
桐島:
だから今チャイニーズアートの方が日本より全然元気だし、マーケットも凄いことになってるし。
田辺:
そうだよね。
桐島:
日本のアートは悲しいよね、なんか相変わらずチープな感じで、美大生もいつもながらああいう貧乏臭いイメージがあるし。
田辺:
こんだけね、経済大国なのに世界で活躍しているアーティストが余りにも少ないし。
桐島:
そうそう。
だから結局日本の企業も一時は会社が投資の目的でアートを買っていたくらいで、でも本当に好きで買っていたかっていうとそうでもないし。
ブランドが好きじゃん、結局。
だからあんな印象派に何十億もかけたりとかさ、してたけど。
なんかやっぱりもったいないことに日本には良いパトロンがいないですよね。
田辺:
そうだね。
桐島:
自分の目を信じて、こいつを育ててやろうってくらいの人は本当に少ない。
俺も何人か知ってるけど本当にその何人しかいないって感じ。
大林組の大林さんなんかもそうだけど、彼の場合は若いアーティストのパトロンになってやろうって意識があるけど、そういう人って本当少なくって。
田辺:
狭いサークルで回っているってだけって感じだよね。
桐島:
そうそう、凄い狭い!そう。
田辺:
そうだよね。
桐島:
まあ、小柳さんなんかもそうかもしれないし。
でもブランドが好きだよね、相変わらず。
話題になったほら、何だっけオンラインブランドの。。
田辺:
あーZOZOのこと?
桐島:
そうそう、バスキア買ったじゃん。
田辺:
まあ60億くらいで買ったやつね。
桐島:
まあ、本人が好きで買ったんなら良いけどさ。
田辺:
まあ、相当にせり上げられて買わされたと思うよ。
桐島:
あれはちょっとどうかな。申し訳ないけど。
田辺:
まあ、俺は思うけど日本でそういうアートを買える力のある人も結局、じゃあ若手で誰を買おうかっていうのが分かんないと思うんだよね。
だからそういう部分も整理されなきゃいけないんだけど、やっぱり日本の美術関係者っていうのがさっき言ったように狭い中で回ってるから一般的にならない?
だからお金持ってる人はいっぱいいると思うんだけど違うことにお金使ってる。
桐島:
まあ、確かに分からないよね。
俺もだって、自分が良いと思ってもね。
昔良太が描いてくれた絵とか俺は好きだったし。
田辺:
おお、ありがとう。
桐島:
あれを家に飾ってたし、別にそれで良いじゃん。
だって、じゃあ良太がスーパースターになってくれたらそれはそれで嬉しいけど、そうでなかろうが別に自分が良いと思って飾ればそれでいいわけで、自分の写真もそういうもんだと思うし、誰かが飾ってくれたら嬉しいし。
別に俺のネームバリューとか関係ないじゃん。
田辺:
うんうん。
桐島:
だけど、ブランドが先に走っちゃってるっていうのがある。
まあ日本はブランドが好きなんですよ。
田辺:
そうだね。
桐島:
そういう国民性でそれはしょうがないと思う。
別にそれは否定しないし。
職人が好きだっていうのも否定しないし。
俺もテクニカルなものは嫌いじゃないから。
やっぱりこれはちゃんと奇麗に描けてるなとか、ちゃんとしたバックボーンがあるなとか、ベーシックがちゃんと出来てるっていうのがそういうのが嫌いじゃないから。
田辺:
うんうん。
アートのトレンド
桐島:
ただ、やっぱり時代の流れはそういう絵を描く人だけがアーティストな訳じゃないから。
写真家もアーティストだし、映像作家もアーティストだし。
題材がアートだからどっちかというと。
だから基本的にはコンセプト。
ただそのコンセプトが今凄く抽象的になっててどう解釈するのも自由になったっていう意味では、でも分からない人には分からない。
とはいえアートってトレンドがあるからある程度の。
やはりそれは印象派だって一つのトレンドだった訳じゃないですか。
ポストモダンがあって、そういう時代があって今はそのトレンドの幅があまりにも広くなり過ぎちゃって今はもう何がなんだか分からなくなってきてると思うんですよ。
田辺:
うん、そうだね。
桐島:
だからそういう意味じゃ非常に難しいと思う。
別に俺たちみたいにアートの歴史が分かってた人間からしても、じゃあ次のバスキアはこの人だって言い切れないだろうし。
田辺:
そうだね。
桐島:
あれもだから運だよね、たまたま。
田辺:
そうだね、まあ時代的に最後かなって思うのは最近デジタルが主流になってきて。
いろんなところでいろんな人が発信をする?っていうと、アーティストの発信と一般の発信が何が違うのかっていいうのも曖昧になってきているし。
桐島:
そう!
田辺:
ますます線を引くのが難しくなってきているのかな。
桐島:
そう、だからもう結局やったもん勝ちと話題になったもん勝ちって時代になってきてる。
確かになってる。
田辺:
それはあるね。
桐島:
でもしょうがないと思う、それはもう。
だからキックスターターみたいのもあればユーチューブみたいのもあって。
アーティストが自分を発信する場はいくらでもあるから。
昔みたいな言い訳ももう出来ないよね。
だから、ギャラリーのオーナーに認められないと俺はブレイク出来ないってことでもないし、そういう意味では誰にでもチャンスはある。
世界中の誰にでも世界的なアーティストになれる可能性がない訳じゃないから。
田辺:
自分のメディアで発信出来るんだものね。
桐島:
そう、だからそういう意味では、例えばミュージシャンでもいえることじゃないかな。
映像作家でもなんでもいえることだけど、正直言い分けが出来にくい環境にはなってる。
田辺:
なるほどね。
なんか、さっき言っていた今はなんでもありっていうのがあるんだけど。
俺はコンセプチャルアートが主流になって以降、なんでもアートになり得るってことになっちゃったけど、やっぱり心に響くっていうのが大事かな。
説明されて分かるとか、コンセプトを理解しないと分からないとかじゃなくて。
やっぱパッと見てパッと感じるのが必要かな。
桐島:
そうなんだよね。
田辺:
そこが大事かなって思っていて、それはまあ俺がそうなだけでそうでないアートを否定している訳ではないんだけど。
分かるんだけど、心に響くかが一つの境界線みたいな?どうですか?
桐島:
いや、全くその通りだと思いますよ。
だからパーソナルなものだと思うんですよ。
万人受けするアートなんてあったらおかしいと思うんですよ。
田辺:
うんうん。
桐島:
だって人それぞれ、だからそこはしょうがないじゃん。
皆さん各自の領域がある訳だから。
ようするにそこをくすぐるものかそうじゃないのかによって良いものか悪いものかになる訳だから。
もちろんマスに受け入れられたもので素晴らしいものもいっぱいあると思うし。
ただ、やっぱり20世紀になってから基本的にはもうコンセプチャルだから。
そういうものは何というか難しいですよね。
田辺:
そうなんだよね、だから専門家のため?
「ART FOR ART SAKE」って良くいうじゃないですか。
桐島:
そうそう!
田辺:
だからなんかアートのためのアートになっちゃってて、人を寄せ付けないみたいな。
桐島:
今のチャイニーズアートなんてまさにそればっかだよね。
もうなんか、鼻につくものの方がどっちかっていうと多いよね。
なんか、狙い過ぎ!みたいな。
田辺:
そうだよね。
桐島:
だけどやっぱりそれは人それぞれだと思う。
俺からしたらくどいって思うものが、ある人にとってはちょうどいいっていう。
田辺:
そうだね。
写真は終った?
田辺:
写真も最近凄い値段が上がっちゃってもうある意味写真というモノの価値?だってはっきり言ったらデジタルデータがあれば何万枚でも作れちゃう訳だけど。
プリントの良さだとか、そういうモノとしての写真の良さに人が価値を見出して行くっていう感じなのかなって思うんだけど。
桐島:
もう俺は写真は終ったと思う。
田辺:
あ~
桐島:
ようするに、たぶん90年代までで、もうデジタルの写真になってからはアートじゃないと思う。
田辺:
うん、なるほどね。
桐島:
もちろん今あの写真あるじゃん、あのでかくて細かい人がいっぱい写ってるようなやつ。
田辺:
ああ、アンドレアス・グルスキーね。
桐島:
そうそう、グルスキーなんか俺全然良いと思わないし。
あれだってCG加工してるじゃん。
写真じゃないから。
田辺:
そうだよね。
桐島:
やっぱり、ナン・ゴールディンとかシンディー・シャーマンとか、あそこら辺が最後の写真であそこら辺だよね、異常に値段が上がってるのは。
田辺:
そうだね。
桐島:
だからもう、例えば森山大道の新宿なんてもうああいう人もいないじゃん、今の新宿に行っても。
今新宿行って写真撮っても写真じゃないんですよ。
スナップなんですよ。
田辺:
なるほどね。
桐島:
そう、だからアートにならないんですよ。
だからある意味リチャード・プリンスがそこで捻ってインスタの誰が撮ったか分からないのをアートにしちゃってるけど。
田辺:
しちゃったね。
桐島:
もうそういう時代だと思うんですよね。
もう、なんか結局ブランドとしてのアートっていうかな、ブランドだよね。
だから写真も同じでたぶん90年代くらいまでのものは作品として価値が上がると思うけどそれ以降のものってもう写真じゃないんだもん。
田辺:
そうだよね。
桐島:
だから難しいと思いますよ。
俺も写真は本当に終ったな~って思う、メディアとしては。
そりゃあもうみんな言ってますよね。
あのニック・ナイトも最近そういうこと言ってたけど。
田辺:
あ~そうだよね。
桐島:
そうそう、だから本当に彼の言ってる通りだし。
あとなんか時代がそういう意味では面白さがないって言ったら変だけど、まあ、これからまた面白くなる可能性もあるし。
でも戦争の写真とかドキュメントな写真でさえなんかアーティフィシャルに見えてきちゃう。
だって今なんてナショナル・ジオグラフィーで撮ってる人とかでも自分でデジタル加工してる訳だから。
もう写真じゃないんですよ、だって、アングル変えれちゃうんだもん。
田辺:
そうだよね。
桐島:
ここの手が邪魔だからちょっと消しちゃえとかさ。
そういうのをドキュメントな写真のフォトジャーナリストが平気でやっちゃう時代だから。
田辺:
リタッチとかしちゃったりね。
桐島:
そうなんですよ、もうだからそういう意味ではその写真っていう昔撮れた偶然の瞬間というか、もちろんデジタルでも偶然は撮れるんだけど、もう信憑性がなくなったし。
それだけじゃなくて、昔の人間ってやっぱり背景が面白かった訳じゃない。
田辺:
うんうん。
桐島:
やっぱり70年代の新宿はもうない訳だから。
田辺:
ないね~
桐島:
そう、だからあの時そんな狙いでも何でもなく撮ってたと思うんですよ。
今ゴールデン街に行って写真撮ったらそれって狙ってるじゃん、なんか。
田辺:
そうだね。リアルじゃないよね。
桐島:
見せ物にしようとしてるだけなんだもん。
田辺:
なるほどね
桐島:
アヴェドンとかはもちろんアメリカンウェストって言うのがあれは見世物小屋だってクレームもあるけどでもあれは70年代のアメリカのドキュメントでもある訳じゃん。
田辺:
そうだね。
桐島:
そういう意味ではあれを越すものはないと思うし。
田辺:
それじゃあ、アートとして存在していた写真っていうのはもうノスタルジックな中にある?
桐島:
写真はそうだよね、今アヴェドンと全く同じことやって世界のフリークを売店で撮ってさ、どんなに綺麗にプリントしても別にって感じになっちゃうと思う。
田辺:
なるほどね。
桐島:
やっぱりもう時代が時代なんだよね。そう思わない?なんか。
だって今はフェイスブックとかでいくらでも凄い写真あるじゃん!
田辺:
ある!
桐島:
もう本当に凄いよね、毎日のように誰かがタイムラインに凄い作品をアップするんだけどパッと見て。
あ、凄い!で終っちゃうのよ。
田辺:
そうだね。
桐島:
昔だったら苦労して写真見て、写真集とか買ってそれが宝になるじゃない。
だから宝って本当になくなってきたなって思う。
ただ、本当はあるんですよ、いくらでも、いくらでもあるんだけどその形がまた様々で。
インスタレーションにしたって壁に飾れるようなものじゃなくなってるし。
田辺:
今先見の明のあるコレクターはメディアアート買っているみたい?
桐島:
でしょ!
田辺:
中国とか美術館バンバン作ってて、とにかく壁がいっぱいある。
桐島:
はいはい!
田辺:
絵で埋めるのは大変だから一番良いのはメディアアートを映す。
って言うのがこれから主流になるって言う人もいるんだけど。
やっぱり時代は変わって行きますよね、そうやって。
桐島:
最近見た中で言うとビョークの3D展かな。
あれ見た?
田辺:
あ!見てない。
桐島:
科学未来館でやってて。
まあ正直がっかりだったんだけど。
今うちもVRやっててヴァーチャルリアリティーいっぱい作ってて。
これからアートをVRでやろうと思ってて。
結構凄いと思うよ。
田辺:
ふーん。
桐島:
で、ビュークのはその最初ので世界で初めてやられててVRのアート展なんだけど。
なんか、もう単純に普通の会議室?だって科学未来館でさ、ちゃんとしたインスタレーションやろうと思ったらそれなりの世界観作れるじゃん。
例えば草間さんやる時は水玉模様の壁を作ってとかやるじゃん。
ビューク展なんて普通の会議室みたいな部屋に入れられてVRのゴーグルが30個ぶら下がってて、それを各人が付けて3分間見てはい次の部屋って感じで。
で、次の部屋も同じで単純に。
それもVRゴーグルがアートみたいにぶら下がってたらまだ良いんだけど本当に普通の会議室に適当に折り畳み椅子にVRゴーグルが置いてあるだけとか。
そういうところが日本は駄目だなと。
田辺:
そうだね。
桐島:
だってそのVRゴーグル一つでもなんかアート出来るじゃん。
その世界観が重要じゃん。
絶対的なパッケージとしての。
だからキュレーションが日本って下手だと思う。
田辺:
なるほどね。
せっかくね、ビョークなのに。
世界観がないっていう。
桐島:
そう!全くない。
それが凄い、やっぱ分かってないなって思った。
田辺:
で、なんか、VRの話も出たので、最近こういう360度写真撮る3Dとか、まあ巷でもDMMなんかがコマーシャルやったりなんかして。
なんというか、新しいメディアなのか、表現なのか、そういうのをやり始めた?
前から新しいもの好きだったもんね。
どうですか?感触としては?
その辺のアートも作って行くってこと?
桐島:
うん、もう凄いと思う。
田辺:
凄い?
桐島:
可能性は非常にある、ただ当たり前だけどこれも正直スピード勝負で。
だって、結局テクノロジーだから、やっぱギミックなんですよ。
田辺:
なるほどね
桐島:
まあ、写真もギミックじゃないですか。もともとは筆で描いてたのが写真になってって。
それのまさに行程の一つでVRはVRで面白いけど、いずれ当たり前になることだから。
ただ当たり前になったとしても、可能性は非常にあると思う。
田辺:
なるほどね。
桐島:
やっぱり全く違うから、凄いよ!
一度は体験した方が良い。
田辺:
じゃあちょっとそれは是非。
桐島:
はい、今度作品が出来たら。
田辺:
是非是非!
桐島:
裸の女の子が飛び回ってるの作るんだ。
田辺:
え~ははは
桐島:
ふふふ
田辺:
大体そっち系の方にバーチャルリアリティーは行くんじゃないかって言われてますけど。。。
桐島:
いやいや、完全にそうだよ。
田辺:
あははは
桐島:
あははは
完全にそうだよ、だってそれが一番面白いもん、たぶん。
田辺:
でもなんか、ますます経験の領域が広がるというか、なんだろう。
桐島:
というか、広げないと正直生き残れない時代ですよね。
田辺:
うん、なるほどね。
桐島:
やっぱりカメラマンだって今ムービー撮れて当たり前じゃないですか。
田辺:
そうだね。
桐島:
俺はもう10年くらい前からムービー回してるけど。
今それが出来なかったら、ミュージックビデオとスチールも撮れて、監督も出来てっていうようなバリューがないと仕事なんてないから。
田辺:
なるほどね。
桐島:
次はこの3Dのステージ。確実に。だからニック・ナイトも3Dやってるって聞いて凄く安心したっていうよりも、まあ、俺そもそもニック・ナイトが好きなカメラマンだったからそういう意味では同じベクトルにいてくれて良かったな~みたいな。
田辺:
そうだよね。
桐島:
やっぱ彼もそこに気が付いてるんだって言う。
やっぱ確実に時代がそっちに行くから。
ただ、やっぱこれはかなりの知識が必要で写真と比べたら100倍難しいって感じだけど。
田辺:
なるほど、そうなんだ!
桐島:
そう、だから自分1人じゃ出来ないから。だってまあ、ミケランジェロだって自分で全部彫刻を作ってなかった訳じゃないですか。
だからそういう意味ではいろんな人に発注しなきゃ行けないから。
アイデアってね、ただ今の時代ってまさにもうアイデアだよ、別にミケランジェロだって、最後の詰めは彼がやったかもしれないけど、優秀な弟子がいっぱいいて。
田辺:
そうだよね。
桐島:
まあ、昔からそれって議論されてたじゃないですか。
本人が全部やらなきゃアートじゃないって訳じゃないから。
田辺:
うんうん
桐島:
やっぱり最初に計画したところ、満足いくところまで持って行くっていうのがアーティストだと思うから。
田辺:
そうだね。工房制作なんて全部そうだし、最近では村上隆さんなんかもね。
桐島:
まさにそうです!
田辺:
この間のは自分もちょっと筆入れたとか言ってるけど。
桐島:
はい。
田辺:
だいたい、芸大生募集してやっちゃったりとかね。
するけど、まあそのプロデュース力というか、アイデアが勝負ですもんね。
桐島:
そうなんです!だから3Dも正直自分でゼロから出来るかっていったら出来ないけど、まああるところまでやって最後の詰めみたいなところは自分でやるから。
まあ同じような感覚なんだろうけど。
だけどやっぱり凄い難しいですよ。
田辺:
なるほど。なんか、僕らが20歳とか、若い頃はパーソナルコンピューターもそんなになくて、まだアナログな時代で。
そこからパソコンが来て、で、それにともなったいろんなテクノロジーが来て、写真でいえばデジタルになって、プリントが出力になってって、凄い激しい時代だった。
桐島:
激しかったよ!
キツかったよ本当。
田辺:
ね、で、これからまた今度3Dとかそういう方に。。
桐島:
行きますよ!
田辺:
バーチャルリアリティーとかを体験するっていう方に行くってことですよね。
桐島:
そうですね。だから本当に非常に辛いっすよ!
田辺:
ははは!でも好きじゃないの?
新しいの?
桐島:
そうだけど、やっぱ、さすが48になって新しいことやるのは。。辛いっすよ。
田辺:
まだまだ
桐島:
だから羨ましいよ、俺たちの上の世代は、写真だけでキャリアを終えることが出来たから。
田辺:
そうだね!
桐島:
まあ、十分稼げた訳じゃん。
だって俺なんか一番良い年の頃にデジタルになって、で、今度ムービーが撮れるようになって、もう常に勉強しないといけなくて。。
田辺:
うん、新しいものをね。
桐島:
ちょっとでもゆっくりしてると、油断してると仕事がなくなっちゃうから。
非常に大変でしたよ。
田辺:
なるほどね。
桐島:
ただ、今回はそのまた3歩先に行ったから、まあ、しばらく誰も追いつけないだろうなていうのもあるし、そう簡単ではないんでね。
田辺:
じゃあ、今はこれと向き合ってこれでの表現を追求すると。
桐島:
そう、やっと仕組みがちゃんと出来るようになったから。
こっからじゃあこれをどうやってアートに出来るのかっていうのを研究してて。
田辺:
なるほどね。
桐島:
でも正直言って、スキャンして3Dでゴーグルで見るだけでも「おおっ」って思えちゃうから。
田辺:
うん、そうみたいね。
桐島:
そう、だからそれをもっと深いところに、だってやっぱりコンセプトが重要だから。
じゃあ、それが何なのかなっていう、何が出来るかなっていう意味ではいろんな可能性があると思う。
ただ、難しいのが、まさにユーチューブのある時代に、単純にユーチューブで見るアートに終っちゃうのか、それか本当に美術館に足を運ばせるものに出来るかっていう。
その差ですよね。
田辺:
そうだね。
だからさっきのビョークの話じゃないけど、やっぱり美術館できちっと、トータルな後としてプレゼンテーションもしなければならないってことですね。
桐島:
そうです、本当にそう。
桐島さんのアートコレクション
田辺:
で、まあ今日ご紹介頂く作品は、先ほど見たんですけど、義理のお兄さんの作品。
桐島:
そう、アナログ時代の傑作ですよね!
田辺:
モノとしての写真の存在感とか美しさっていうのが実感出来る作品だって思うんですけど。
桐島:
はい。
田辺:
それはそれで良いもんですよね、こう、じっくり見てっていう。
桐島:
まあ、あれは本当に彼が、彼のプロセスももちろん知ってるから。
田辺:
なるほど。
桐島:
あれは「QUINAULT」キーノルトっていう彼の要するに森のシリーズ。
ポートランドの山奥にある普通の人が行けないところにもう何ヶ月も彼はそこに行って凄い苦労して撮って。
それも彼のあのプリント法っていうのは、あのプリントはあの1枚でもうないから、あの色合いはもう絶対に出せないんですよ。
田辺:
なるほどね!
桐島:
だからあれはまだデジタルでもあそこまでディープなトーンっていうのは出せないし。
だからアナログ時代の一番綺麗な森の写真なんじゃないかなって。
田辺:
なるほどね。
桐島:
最高峰のね。
田辺:
やっぱりそのアナログの突き詰められるところの最高に突き詰めた作品って感じ?
桐島:
そうですそうです。
だからそういった意味ではあれは色が本当に綺麗なんで。
色が超深いんで。
だから今のデジタルのプリントっていうのは基本的にデジタルだからアナログのプリントの色が出せないんですよ、実は。
田辺:
なるほど!
桐島:
全然幅が広いんでアナログの方が、だから音楽もよく言うじゃないですか、実はLPの方がCDより音が多いって。
まあ、実際そうなんですよ、ただ、もちろんノイズは乗っちゃうけど、とはいえ、レンジでいえばアナログの方がはるかに幅が広いんで。
デジタルって言うのはそれを間引いて良いところだけ取って音楽にしてる訳です。
別に写真も、今のカメラっていうのは12ビットとか16ビットで写真が撮れるとはいえフィルムで表現出来る色のレンジのほんの10パーセントくらいだから。
だからそういう意味ではフィルムで撮った方がまだ90パーセント余分にある訳ですからね、色情報が。
田辺:
なるほどね。
桐島:
だからそういう意味では凄いですよ。
ただそれがもちろんこれでデジタルが進化したらどっかで追い抜いちゃうだろうし。
田辺:
その頃には人工知能かなんかに支配されてる世の中になっちゃってるかもしれないね。
桐島:
いや~本当、あっという間ですよ。
今そこら辺も、カメラメーカの顧問もやってるから。
今だいたい写真のテクノロジーに関してはどこに行き着くかってのは分かってるんだけど。
もう写真なんて取らない時代になると思う。
勝手に撮れちゃってるって時代になって。
田辺:
う~ん、なるほどね。
桐島:
それで勝手にコンピューターが選んでくれるって時代。
そして素晴らしい写真をコンピューターが見つけてくれるって感じですよね。
田辺:
どうなんだろうね、そんな世の中。
桐島:
いや、そうなっちゃうんですよ。
だから実はどうして90年代の写真とかがこんな高値になっているのかっていうと、車でもなんでもそうだけど、もうそっちに行くことはないんですよ。
田辺:
なるほどね。
桐島:
もう確実に全てがデジタルになって。
実はアートっていうのは実は20世紀で終ったんじゃないかなって俺は思う。
これからはコンピューターの方が人間より良いアートを作れる時代になっちゃう。
田辺:
なるほどね~
桐島:
だって、今まで人間が行って思っていた写真の全部のデーターベース、写真とかアートのがネットに出てる訳じゃない。
殆どのものが、それをコンピューターが選ぶ時代になってしまうんじゃないかと思う。
田辺:
なるほど、なんか恐ろしい時代になって行きますね~
話は尽きないけどこの辺りで、今日はありがとうございました!
桐島:
ありがとうございました!