DREAM COLLABORATIONS
1980年代のニューヨークのアートシーンはとにかく面白かった。
ウォーホールはまだ健在だったし、バスキアのような天才が現れたり、キース・へリングがグラフィティーを有名にしたり。
また、この時代にはネオエクスプレショニズムと呼ばれる大胆でインパクトのある表現のペインターが沢山出現した。
ジュリアン・シュナーベル、デビッド・サーレ、エリック・フィッシェルなど切りがないがフランチェスコ・クレメンテもそういった新しいペインターの一人だ。
また、80年代はナイトライフが最後の盛り上がりを見せた時代でもあり14丁目にはパラディアムという日本武道館くらいある巨大なナイトクラブがオープンし連日大量の人がそのオオバコを埋め尽くしてぶっ飛びながら踊っていた。
そのパラディアムの内装には時代を反映するかのように多くの本物のアートが施してあった。
入り口の階段の壁にはフランチェスコ・クレメンテのフレスコ画が描かれ、マイケル・トッドルームと呼ばれる巨大なバーのある部屋の壁面は全面バスキアの絵画で埋め尽くされていた。
踊り場で踊っていると舞台装置みたいに上から布製の仕切が定期的に下りてくるがその絵柄はキース・へリングだった。
また、地下の電話とトイレのあるエリアは当時人気だったケニー・シャーフが担当し電話機にゴムの蛇やらトカゲを接着してサイケに色を塗りたくりまるでアートのオブジェと化していた。
そんな時代を象徴するアーティストのウォーホルとバスキア、クレメンテの3人がコラボして制作した作品集がこのCOLLABORATIONS WARHOL・BASQUIAT・CLEMENTEだ。
なんとも贅沢なコラボレーションだが、この頃はウォーホールとバスキア2人のコラボも話題になった。
その後、バスキアはドラッグのオバードースで他界し、ウォホールも入院先の病院の医療ミスで亡くなってしまった。
クレメンテは今も健在でアーティスト活動をしていると思うが今から約40年も前の1980年代、「80’s」と呼ばれた時代にこの三人はまさに時の人であったのだ。
「80’s」が実現させた夢のコラボレーションは懐かしくもあるが、もうあんな時代は2度と来ないと思うとどこか切なくもなる。
やがて、クラブカルチャーの終焉と共に取り壊されたパラディアムだが、壁にあったあのバスキアの絵画はいったいどうなったのだろうか。
きっと誰かが大切にコレクションしているに違いない。
バスキアが亡くなってすぐに大型トラックがバスキアのアパートにやって来て絵はもちろん家具から灰皿まで全て持ち去ったという話を聞いた覚えがある。
アートはNYにおいて膨大な金を生むビジネスであり、売れるものやコレクション出来るものは作品だけではないのである。
ウォーホルを慕っていたバスキアはウォーホルの死に衝撃を受けてドラッグに逃げていたのかもしれない。
ウォーホルの絵の上に大胆にバスキアワールドを描きまくった作品は圧巻だ。
グチャグチャに描いているようでいて決して絵が破綻しないのがバスキアの天才の証だと思う。
ポップアートの天才ウォーホルと絵画の天才バスキアのコラボレーションとは驚きだった。
フランチェスコ・クレメンテとバスキアのコラボもまた味わい深いいい作品だ。
1980年代ニューヨークのアートシーンを代表する3人のコラボレーションは素晴らしかった。