2021年 1月 10日NOT ART BUT TREASURE
NOT ART BUT TREASURE VOL.2
美術ジャーナリストの鈴木芳雄氏がアートなお宝を紹介する「作品じゃないけどお宝です」
VOL.2は「モナリザの新しい部屋の招待状」です。
2005年、ルーヴル美術館「モナリザの部屋」公開プレス内覧会招待状
子どもの頃は美術館よりも博物館の方が好きで、よく行ってたのは上野の国立科学博物館、竹橋の科学技術館、それと大手町にあった逓信総合博物館(ていぱーく)。
美術館に自分の意志で行ったのは(つまり、親に連れられてとか、学校の授業でとかではなく)1974年、東京国立博物館の特別な展覧会だった。
僕はそのときまだ高校1年、16歳で、レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナリザ》がやってきたのだった。
何時間並んだのか、もう覚えてないけれど、1~2時間はかかったと思う。
当時の新聞記事によると展覧会最終日には東京国立博物館からJR上野駅(当時は国鉄上野駅)まで人の列が出来たのだという。
ともかく僕も、最終日ではないけれど何時間も並んで、展示の部屋に入り、遠くに《モナリザ》が見えて、少しずつ近づいて行って、いよいよ最接近したら、《モナリザ》の前を立ち止まらずに通り過ぎなければならなかった。
《モナリザ》は微笑んでいたのかどうかはわからなかった。
そういう展覧会だった。
それでも《モナリザ》を見たのだという高揚感、満足感はあった。
ああ、これが世界でいちばん有名な絵なのか。
万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチがおよそ500年近く前に描いたのか。
小さくしか見れなかったし、立ち止まって相対することはできなかったけれど。
そして、生きているうちに、いつかはパリのルーヴル美術館で《モナリザ》を見てみたいと16歳の僕は思った。
将来、ヨーロッパ旅行をする機会があることを願った。
それから、5年後、僕は大学2年になっていて、夏休みに約1ヶ月のヨーロッパ旅行に出かけた。
成田空港から出て、給油のためアンカレッジに一度降りないといけない。そうやって、パリに向かう。
今はヨーロッパに行くのはロシア上空経由でノンストップだが、当時は北回りでアンカレッジに寄るのがあたりまえで、もっと安いチケットを買って南回りで時間をかけて行く人もいたようだ。
モスクワ経由で行く方法もあり、そのときはアエロフロートを使うけれど、今と違ってアエロフロートの飛行機はソ連製の、あまり快適でない機体だった。
パリにはまだオルセー美術館はなくて、いまオルセーにある印象派、ポスト印象派の絵はチュイルリー公園の中の印象派美術館で見た。
その建物は現在のジュ・ド・ポーム国立美術館である。
通貨はもちろんユーロではなくてフラン。
英国に行くにはユーロスターはないから、フェリーにも乗らないといけない。
プレス内覧会招待状を開いたところ
ともかく、ルーヴルで《モナリザ》に再会した。
ここでも厚いガラスの向こうにいるものの、そして、やはり多くの観客に囲まれているものの、東京よりもずっとよく見えたし、なにより、じっと立ち止まって、眺めることができた。確かに彼女は微笑んでいる。
いつかはパリに行ってみたいと16歳のときに思ったけれど、結局、ざっと数えてみるともう30回くらいはパリには行っていると思う。
去年もレオナルド没後500年の回顧展を見るためにも行ったし。
美術館の取材という仕事ではなくても、滞在中少しでも時間が取れると、ルーヴルやオルセーに出かける。
モナリザの新しい部屋のプレスリリース
《モナリザ》を初めて見てから31年後、ルーヴルに初めて行ってから26年後、僕はある雑誌の副編集長になっていて、主に美術記事を担当していて、年に10回くらい欧米に出張する年もあった。
2005年、日本テレビ放送網がスポンサーになり、新しく《モナリザ》の展示室が整備された。
最新のLED照明が取り入れられた。
そのプレス内覧の招待状がこれである。
招待状は回収されてしまうときもあるし、展示を見終わったらたいていの人は処分してしまうのだろうけど、僕は捨てられない。
プレス内覧会の招待状が入っていた封筒
このとき幸運にもたまたま仕事でパリに滞在中で、日本テレビ経由で取材を申し込んだら、ホテルにこの招待状が届いた。
《モナリザ》に対面した。僕には長いような短いような30年だった。
彼女は変わらず微笑んでいる。
レオナルド・ダ・ヴィンチ《モナリザ》1503年 - 1519年頃 ルーヴル美術館、パリ
LOUVRE
プロフィール:
鈴木芳雄|Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。
明治学院大学・愛知県立芸術大学非常勤講師。
雑誌「ブルータス」元・副編集長(フクヘン)。
共編著に『カルティエ、時の結晶』『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。
雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。