SENSE OF COLOR
色彩感覚はもちろん誰でも持っている感覚だが、アーティストにとって、色彩感覚のセンスはとても大切な感覚の一つだと思う。
たとえば、デッサン力はデッサンを繰り返すことである程度は鍛えられるかもしれない。
しかし、色彩感覚のセンスは鍛えられるようなものではないと思うのである。
アーティストにとって、色彩感覚のセンスとは鍛えて習得するというよりも、どのような色彩感覚を生まれながらに持っているかを自らの中から覚醒させるのに近い感覚のような気がするのだ。
それは生まれ持った色彩感覚のセンスが育った環境やその過程で得た刺激によって徐々に呼び起こされるような感覚なのかもしれない。
マチスのハッとするような色の使い方や、モネの繊細な色彩の見つけ方、ピカソの荒々しい色彩の力強さ、または、スーラーのような色彩によって光を探究した作家でも色彩感覚の生まれながらのセンスがなければあのような絵は描けなかったように思う。
ドイツが誇る巨匠、ゲルハルト・リヒターの抽象ペインティングも色彩感覚のセンスがなければただの破綻したメチャメチャな絵にしか見えないことだろう。
もちろん、センスこそが何にしても重要なのだが、色彩感覚について言えばセンスは非常に大切であると思うし、絵の魅力を決定的にするほどの力を秘めているのである。
私が関わってるFeb gallery Tokyoというギャラリーで開催した加藤崇亮という若い作家の展覧会「Montage」で彼の作品を見ていてふとそんな思いがしたので色彩感覚について書いてみたが、この30代後半の若い作家は実に独特な色彩感覚のセンスを持っているのである。
風景や人物のいる風景などを描くのだが、アートフェアで彼の作品を最初に見たときにまずその独特な色彩感覚のセンスに満ちた色使いに魅了された。
その独特な色彩感覚のセンスは魅力的で彼の作品を輝かせている大切な要因のように思われた。
そして、彼の作品の色彩感覚のセンスにはどこか日本人とは違う不思議な雰囲気が漂っていた。
ヨーロッパの、しかもドイツあたりの雰囲気を感じたので、彼に好きな作家を聞いてみるとゲルハルト・リヒターやシゲマー・ポルケといったドイツの画家の名前が出てきて思わず納得したのを覚えている。
また同時に、若いのに好きな作家が渋いなあと感心したのだが、さらに話していると彼自身が幼少期をドイツのデュッセルドルフで過ごしたと聞いてそこに彼の色彩感覚のセンスがこのように覚醒した背景があったのだと感じた。
展覧会などで色彩感覚のセンスがない作家の作品を見ていると頑張っているのだろうが、一瞬ハッとするような驚きや惹き込まれるような魅力を感じることがないというのが正直な感想である。