DJORDJE OZBOLT

六本木にあるTARO NASUにてよりジョージェ・オズボルトの個展が開催されました。

ジョージェ・オズボルトは1967年、ユーゴスラビア生まれで、現在はロンドンを拠点に制作活動をしています。
セルビアにあるUniversity of Belgradeにて建築を学んだ後、NYに渡り、さらにロンドンに移住し2000年にロンドンにあるSlade School of Fine Artにて学士号を取得しました。

また、2006年 にはロンドンのRoyal Academy of Artにて修士号を取得しました。

携帯電話を操作するだけでありとあらゆる視覚情報が入手できてしまう現代において、「イメージ」という存在の位置付けもかつてないほどの揺れをみせています。

一枚の画像は、たとえば世界に拡散することでときにはひとつの国の政治すら左右する可能性をもつ強力な道具なのだと多くの人が気がついてしまいました。

それと同時に画像のはらむ多義性や信憑性をいったんは問うてみることが必要だと警戒せざるを得ない時代でもあります。

今や意味やメッセージを運ぶ容器としての画像の機能は諸刃の剣なのだと誰もが知っているのです。

ジョージェ・オズボルトは古今東西の描かれた絵画作品のイメージを分解して再構成する、いわばコラージュにも似た手法で独特の絵画世界を作り続けてきました。

インスピーレション源となるのは絵画のようなファインアートにかぎらず、商業デザインやファッション、音楽といった多様な文化からすくい上げた画像です。

すべての作品に通底する歴史意識と風刺精神、ほの暗いユーモアは東欧の裕福な家庭に生まれながら、イギリス留学中に起こった祖国での革命によって故国喪失者となったことや、その後の世界放浪といった異文化遭遇の経験のなかで培われた「生き抜くための術」に起因するといえるかもしれません。

今回の個展でジョージェ・オズボルトが一連の作品の主題としてとりあげたのは「名画」として認識されている西洋美術史上の著名な絵画の断片的イメージです。

バラバラなモチーフとして描かれた「名画の断片」は、本来、強力な視覚情報だったそれらが、複製の過程で無力化された姿ともいえるでしょう。

その姿に、様々な形で分断され、断片化されていく現代人の日常とアイデンティティを想起することも出来ます。

文脈を失うことで意味を失い、伝えるべきメッセージを失って色と線の塊として取り残されたそれらの「画像」は、果たして鑑賞者の視線によって新たな意味を与えられ、「再生」を果たすのでしょうか。

かつて属していたのとは異なる、未知なる空間に放り出されたそれらの「画像」は、いかにして生き延びることができるのでしょう。

TARONASU